家づくりの原点

株式会社ファーストステージ
代表取締役
飯村真樹の考える家づくり

を身近に感じて育った子供時代

株式会社ファーストステージ 代表取締役 飯村真樹

私の父は、家具や建具をつくる職人でした。私が保育園に通っていた頃、父が自宅の脇に機械を置いて作業場を立ち上げ家具・建具の製作を始めたのが、家づくりと関わる仕事を最初に感じた時期でしょう。木の匂いに包まれながら、おがくずとか木っ端を遊び道具にして過ごしていました。冬になれば、その木っ端をストーブに入れて暖を取り、鍋や煮物をストーブで調理して食事をしたなんて思い出もあります。 そんな環境で育った私は、いつしか父の手伝いをするようになりました。カナヅチやノコギリの使い方を、見よう見まねで覚えていき、建築という仕事を肌で感じながら育ちました。一方、学校のクラブ活動では中学までずっと野球をやっていて、プロ野球選手を夢見ていた頃もありましたが、高校卒業時に進路を決めるときは、実は建築か洋服かで迷いました。ちょうど洋服のDCブランドが脚光を浴びていた頃で、ファッションへの憧れもありましたが、やはり幼い頃から慣れ親しんだ建築の道に進むことに決め、東京にある建築の専門学校に入りました。

株式会社ファーストステージ 代表取締役 飯村真樹

子供の頃は結構悔しい思いをしています。建築とか住宅の業者さんの並びというものが実はありまして、大工さんや棟梁と言われる人たちが一番てっぺんにいる。その次が左官屋さんで、建具職人の父は畳屋さんなどと並んでその下の下職といわれていた存在でした。子どもながらに身近で見ていると、そうした上下関係も分かってきますので「ああそうなんだ、親父の仕事はそういう仕事なんだ」と、何か悔しいという気持ちが正直ありました。上の人が下に対してとる態度を何となく感じていて、実際にいろんな場面も経験しました。そうした環境のなかで、もちろん父が働く建築業界にはすごく興味があったのですが、父のあとをそのまま継ぐのではなく、元請としてトップの位置で仕事をしたい、という気持ちが芽生えていきました。そんななかで、設計士という仕事があると初めて知ったのです。「それならば設計士になろうというのが、専門学校を選んだ際の理由でした。

この専門学校は、一級建築士資格取得の全国ランキングで飛びぬけた実績を挙げていたので、間違いのない選択だったと思います。

お客さまに対する姿勢の原点

専門学校を出て、住友不動産のグループ会社に入社し、リフォームを中心にいわゆるセールスエンジニアという名称で3年間働きました。設計部という希望は叶わなかったのですが、仕事の受注から予算管理、お客さまとのご契約などの業務から現場の監理、さらに最後の集金まで、一連の業務の流れについては、すべて身に付きました。 結婚を契機にパナホームに入社し、茨城事業部に転属を願いました。このとき既に2級建築士の資格をもっていたのですが、アフターサービスから半年後に開発課という名のもとで住宅営業を経験しました。モデルハウスで案内するのではなく、集客のメインはほぼ完成現場の見学会でした。パナホームでは、アフターサービスの仕事と合わせ丸3年勤め、水戸市内に事務所を借りて独立しました。

実は私はパナホーム時代、モデルルームすらもたないのにトップセールスだったのです。この当時は、家を売ることが、ただお客様のためだと思って、一生懸命お客さまの気持ちを受けとめて家づくりの話をしていました。しかし、おそらくそれがお客さまに喜んでいただく原点ではないかと思います。 そのとき他の営業マンを見て気づいたのは、自分の本心ではいい家だと思っていないのに売っていたり、どうせ高いから売れない、と言い訳しながら売っている姿でした。パナホームという会社は、大手に比べて確かに競争力は落ちるのですが、そういう気持ちはお客さまに通じるものです。私は、お客さまが10人いらしたら10人全員がパナホームで家を建てると信じて話していましたので、それがよかったのではないかと思っています。ただ一生懸命に、とにかく一心不乱にお話をさせていただいていたというのが、他の方との違いだったのではないかと思います。

26歳で会社を設立した際は、当初からの夢だった設計士としてスタートを切ったのですが、1年くらいすると時代状況や地域性の面で、このスタイルでは難しいのではないかと思い始めました。幸いにも当時はリフォームの依頼が多かったため、私のキャリアが活かせる分野でもあり、大工さんや職人さんを探して、工務店形式でリフォームを受注するスタイルに切り替えました。こうして水戸市内で実績を重ねるうちに、年に1、2棟、新築の注文をいただく機会に恵まれました。人脈も何もなかったこの地域で、お客さまから声をかけていただいたことは大変有難かったです。それが実現したのも、ただひたすらお客さまの思いを一生懸命に受けとめ、プロとして形にしていく姿勢がお客さまの心に届いたのだと思っています。そして、もちろんその姿勢は現在も変わらずに生きています。

自身の苦い経験から生まれた
家づくりへの信念

私は、23歳で水戸にマンションを購入して、子育てをしながら働いていたのですが、毎年冬になると窓ガラスがびしょびしょに濡れるのが気になっていました。革製品や革ジャンパーがカビになって、毎日、結露取りを行っても、レースカーテンなど黒くカビてしまうという経験を数年経験しました。その不満が積み重なったのでしょうか、北側の部屋に一人で寝ていた私は、ある夜中にサッシの壁を壊しはじめたのです。もちろん近所迷惑にならないよう気を付けながらでしたが、なぜこんなに結露がひどいのかと、ある程度壁をはがしたところで、そこに悲惨な状況を見たのです。窓を二重にするなど対策は施していたのですが、アルミサッシの桟の下で、水滴がポチャン、ポチャンポチャンと落ちていたのです。

この経験が、それ以降の私の家づくり研究につながっていくのです。「日本の家って、みんなこのような家なのか」という疑問から始まって、どうすれば結露がなく、暖かくて快適な家がつくれるのかと研究し始め、北海道庁の建築の専門家などにも会いに行きました。ドイツやカナダにまで自分で足を運んで建築部材の情報を集め、現地でこの目で家づくりの情報収集を行うという現在のファーストステージのスタイルは、実は結露における自分自身の苦い経験から生まれたものでした。しかし、だからこそ常にお客さまに、快適な家づくりのための最新情報を分かりやすく提供していきたいと思っているのです。

これからも、ひたすらお客さまの思いを受けとめることを大切に、変わらぬ気持ちで家づくりの道を歩んでいきたいと思います。

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